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パットナム郡(英語:Putnam County)は、アメリカ合衆国のニューヨーク州、ロウアー・ハドソン・リバー・バレーに位置する郡である。1812年にダッチェス郡から分離して誕生した。2010年の人口は、99,710人である。ニューヨーク都市圏の一部で、郡庁所在地は、カーメル・ハムレットである〔 〕。パットナム郡の名称は、フレンチ・インディアン戦争の英雄であり、アメリカ独立戦争時には将軍となったイズラエル・パットナムに敬意を示して名付けられた。2000年国勢調査によれば、パットナム郡は最も豊かな郡の1つで、平均家計収入では11位、1人当たりの所得では47位にランクインしている。 == 歴史 == ニューヨーク・コロニー(州の前身)が1683年に、州内の12の郡を設立した際、パットナム郡はダッチェス郡の一部だった。さらに、現在のコロンビア郡である2つの町もダッチェス郡に含まれていた。ダッチェス郡は、1713年までアルスター郡に取りまとめられていた。 1609年には、ワッピンガーと呼ばれるネイティブ・アメリカンが、ハドソン川の東側に居住していた。彼らは、ハドソン・バレーの豊かな土地で、魚を採ったり、作物を栽培したりしていた。彼らはたびたびオランダの貿易者と会い、アルコールや火器などを得ていた〔。 1691年、オランダの貿易者が、パットナム郡の地域をワッピンガーから購入している。6年後、貿易者は裕福なオランダ人—アメリカの商人であるアドルフ・フィリップス。この人物は、ハドソン川からコネチカット州との境界線までの土地に対して、王の特許を得ている—に、フィリップス・バテントとして知られる地域を売っている〔〔。 1737年、ダッチェス郡の南部地域のフィリップス・パテントを植民地会議が指定し、マサチューセッツ、コネチカット、ロングアイランド及びロウアー・ウェストチェスターの農場で移民を受け入れ始めた。アドルフ・フィリップスの死後、1754年にパテントは、メリー・フィリップス、フィリップ・フィリップス、スザンナ・フィリップス・ロビンソンという3人の相続人に引き継がれ、9つの土地に分割された。フレンチ・インディアン戦争中、ワッピンガーの多くは、マサチューセッツ州のストックブリッジへ行った〔〔。 パットナム郡の領域が決まるのは、ハドソン・バレーの他の地域より、2つの理由により遅かった。第1の理由として、郡の領域は私有地であり、居住するためには、フィリップスに収入の一部を払う必要があった。また、土地のほとんどが険しい岩地で、耕すのが難しく、農業には不適切であり、産業は酪農か林業に限られていた。しかし、一般の開発者がコネチカット州との曖昧な境界に沿い、開発を行い、議論により、この地域はフィリップスによって所有されないと考えた、ニューイングランドの農民達が、移住するようになった。コネチカット州との境界に関する問題には、植民地のニューヨークが、ハドソン川から東へ20マイルまでの領域を要求している。しかし、川の流れはわずかに台地の西に変わっており、東側2マイルのオブロングより少し狭くなっている〔http://www.rootsweb.ancestry.com/~nyputnam/history/chapVIII/index.htm〕。 初期に開発したのは、ヘイト家であった。彼らは、1720年にエルムと呼ばれる農場を設立した〔http://www.historicpatterson.org/Exhibits/ExhMiscellaneous.php〕。ヤコブ・アビランドは、アビランド・ホローとして知られていたところを1731年に所有している〔http://www.historicpatterson.org/Exhibits/ExhHavilandHollow.php〕。郡で最初の村は、フレデリックスバーグ村(現在のパターソン・ハムレット)だった〔1765 map of Putnam County at http://www.hyzercreek.com/1765map.JPG〕。境界の問題は、独立戦争後解決された。オブロングは、ダッチェス郡の最も南東に位置し、町の2つの部分の1つとして組み込まれた。 初期の郡の別の部分は、今のダッチェス郡にあるリビングストンとベークマンの間にあり、フィリップスの土地の曖昧な北端に位置する三角形の地所だった。そのため、ルディングトンヴィルは、フィリップスの同意なしで成立している〔Pellitreau, history of Putnam County p. 87〕。 ダッチェス郡の人口増加や、郡庁所在地であったポキプシーから離れているという理由により、1812年にパットナム郡はダッチェス郡から分離し、独自の郡となった〔。さらに、パットナム郡はハドソン川に面しており、輸送が容易であることも、独立する要因となった。品物を運搬するボートは、主にピークスキル・ハロー・ロードを通り、ピークスキルで出荷されるか、コールド・スプリングでハドソン川から輸送された〔。冬に川が凍った際には、郡では少ない食品や品物のみしか持ってこられなかった。フィリップスタウン・ターンパイクは、コールド・スプリングからコネチカット州へ向かう有料道路で、1815年に完成した。この道路は、東部のパットナム郡の鉱山などから生産された鉄鉱石を輸送できた。有料道路の跡は、概略に辿ることができる:ルート301をコールド・スプリングからファーマーズ・ミルス・ロード、ホワイト・ポンド・ロード、ペックスヴィル、ホルムス・ロード、パターソン、クエーカー・ヒルズ・ロード、コネチカットへ〔。交通は、1840年に鉄道(すなわちハーレム線)が敷かれ、再び改善された。これにより、ニューヨーク市とパットナム郡との間がレールで繋がることとなった。当時、パットナム郡内にはハーレム線の駅が4つあった:ブリュースター駅、ダイクマンズ駅、トーナーズ駅、パターソン駅。現在では、ブリュースターとパターソンの2駅のみが残る。 パットナム郡は、南北戦争でも重要な役割を果たしている〔。郡の15〜55歳の住人の3分の1は、戦争時に軍で貢献している。南北戦争中は、産業や農業において、赤字に苦しんだ。鉄がハイランド山脈で見つかり、他の場所でも見つかる可能性があった。これは、農業にも非常に影響した。ニューヨーク市では、水の使用量が増加し、新しい水源を求めてハドソン・バレー一帯の探索が行われた。パットナム郡では、多くの農地で、貯水池による洪水が起こった。この農地、貯水池やその跡は、ニューヨーク市からの観光客を呼び寄せる景色の良い場所となった〔。 20世紀には、道が改善され、ニューヨーク市から多くの人が訪れるようになった。道路整備の一環として、世界恐慌中には、タコニック・ステート・パークウェイが建設された。これに伴い、美しい風景や安い宿に引きつけられた観光客が来るようになり、宿屋や別荘も増え、パットナム郡の人口は、夏の数ヶ月間、2倍にも膨れあがった〔。 第二次世界大戦後、パットナム郡はニューヨーク市の準ベッドタウンとなった〔。これにより、急速に開発が進んだ。しかし、郡の土地の多くは湿地や貯水池が近くにあり、これらの保護のために、開発は制限された。郡では、3人の郡政府行政官が就いている:デビッド・D・ブルーエン(1979-1986)、ピーター・C・アレクサンダーソン(1987–1990)、ロバート・J・ボンディ(1991–現在)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「パットナム郡 (ニューヨーク州)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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